小唄セラピー

「のどかに、ゆっくり生きたいねえ」なんていいながら、どうしても、より速くより先にと急きたてられながら行き過ぎていく毎日。鼻息のあらさの分だけCO2は出し放題だし、無理をしている分だけカラダはあちこちが悲鳴をあげています。
私の日常は、地球環境にも悪いし、生き物の正しいあり方からいっても明らかにズレちゃっているといえます。
二百年前のイギリス産業革命が悪いのか、鉄腕アトムで育てられたのが悪かったのか、その理由はさだかではありませんが、私は“豊かさ”を求める近代人のひとりとして、ついつい、“より速く、より先に”と邁進しがちです。
“近代的な豊かさ”を求めすぎるあまり、煙突もくもくの大気汚染が原因でオリンピックのマラソン競技が危ぶまれる中国のあり方が非難されるなら、同時に、私の生き方もそしりを受けなければならない。
ところで、江戸(時代)ブームは、私の中では十数年以上も前から始まってました。シゴトの忙しくなった時期、大量生産と大量消費を背景にした“豊かな暮らし”は思ったほど居心地のいいものではないことに気づきはじめた頃とかさなります。以来、杉浦日向子さんや田中優子さんの著作は、忙しさのあまり気がふれたりしないようにするための大切な気付け薬になってマス。
小唄は、近代以前、まさしくその江戸時代に端をなすそうです(師匠の『小唄のひととき』より)。歌詞の中身は、それはそれは個々の切ない念でいっぱいですが、どこかに、「だがよ、こんなぁこたぁ当たりめぇのこったぜ」と笑いとばしちゃう江戸時代人のおおらかな強靭さ、粋であふれています。
かつて、時間がまだゆっくりと流れていた時代の音曲は、CO2を撒き散らしながら反エコロジカルにせわしなく生きる私にとって、ココロのバランスをとるための重要なツールです。
追伸…浴衣ざらい、黒船お吉、散々(ヨヨと悔し泣きする顔)。もっともっと修行します。