梅は咲いたか

180303_1050~01.jpg 180303_1305~01.jpg 180303_1335~01.jpg 180303_1410~01.jpg 180303_1455~02.jpg

こんにちは
 
『梅は咲いたか』のイメージをふくらませるために、春の陽気に誘われて、梅が満開の吉原周辺を散策してきましたので、レポさせていただきます。
 
吉原の開祖、庄司甚右衛門が眠る深川にある雲光院(徳川家康の側室、阿茶局の菩提寺)で墓参りをし、釜匠で深川めしを食べたあと、柳橋から隅田川を舟で上り両国橋をくぐり、浅草ニ天門で降りて隅田公園で梅を観賞し、山谷掘(当時は水路でしたが、現在は埋め立てられて公園になっています)を八丁(約900m)ほど歩き、お歯黒どぶ(吉原は幅9mの堀に囲まれ外界から隔絶されていた)の石垣沿いを通り、吉原遊郭のメインストリート仲之町通りを歩いて行くと右手に見える吉原神社に参拝し、喜裕美会の発展と三越劇場の成功を祈願してきました。
 
吉原遊郭は元和3年(1617年)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことに始まります。この地には葦が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし、次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655年)に現在地である千束村へ移転となりました。以後、日本橋葺屋町にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
 
吉原神社は、かつて吉原遊郭にお祀りされていた5つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を明治5年に合祀した神社です。五穀豊穣をつかさどる神様、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を御祭神とし、お稲荷さんと呼ばれて親しまれています。稲荷とは稲が成るつまり稲の生育を意味し、古くから家内安全・商売繁盛の神様として信仰されています。さらに当社の倉稲魂命はかつて吉原遊郭の遊女たちの信仰を集めたことから現在でも女性の様々な願いを叶えてくださることで知られています。
(吉原神社HPより)
 
小唄には吉原を唄った曲が多くありますが、当時の面影が偲ばれ、吉原には梅が合うと実感しました。
 
梅は咲いたか
 
梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ゃなよなよ 風次第
山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな
 
浅蜊取れたか 蛤ゃまだかいな
鮑くよくよ 片想い
さざえは悋気で 角ばっかり しょんがいな
 
柳橋から小舟を急がせ
舟はゆらゆら波次第
舟から上がって 土手八丁 吉原へご案内
(解説は師匠のHP歌詞集、又は小唄選曲集第一集七頁を参照してください)

平年通りの

IMG_3087.JPG IMG_3088.JPG

こんにちは。shimoです。
4月の会まで、まだまだなんて思っていたら…
もう立春もう過ぎ、気持ちばかりが急いてしまいます。

さて、一昨年から続く諸事情で帰省しておりました。今年は東京も雪が積もり、各地で大雪警報が出ておりましたが、郷里は平年どおりに、たっぷりの雪。
「もう、雪はたくさん!」と、おっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、せっかくなので…。

雪見酒、雪見風呂、雪見障子、雪見だいふく…
小唄も忘れてはいけませんね。

初雪に降り込められて向島 二人が中に置炬燵
酒の機嫌の爪弾きは 好いた同志の差し向かい
嘘が浮世か浮世が実か 誠くらべの胸と胸.

初代清元菊寿太夫詩・曲

次はあや子さま、お願いいたします。

小野照崎神社

180202_0841~01.jpg 180204_1926~01.jpg 180204_1926~02.jpg

こんにちは

第6回喜裕美会まで3ヶ月を切るなか、昨日のグループレッスンでは、まとまりのある小唄三味線を聴くことができました。
三越劇場の成功と小唄三味線の上達を祈願しに芸能が御神徳として有名な入谷にある『小野照崎神社』に参拝してきました。

御祭神の小野篁(たかむら)公は、平安時代初期の歌人で「日本の白楽天」と呼ばれるほどの学者でもあり、孫には道風、小町という才に溢れた歴史上の人物がおり、漢詩、和歌、書道、絵画、音楽等、多彩な感性で平安文化の礎を築き「芸能の神様」として、数々の逸話と共に広く信仰されております。
(小野照崎神社HPより)
また、売れない時代の渥美清が、将来の活躍を願掛けしたあと、寅さんの役をもらって国民的映画の主役の座を手に入れたというエピソードでも知られている神社です。

三千歳

市川三升詞
吉田草紙庵曲
昭和十年作

一日逢わねば千日の
思いも積もる春の夜の
静かに更けて冴え返る
寒さをかこう袖屏風
入谷の寮の睦言も
淡き灯影に波打たす
隙間をもるる雪下ろし

(河竹黙阿弥作「天衣紛上野初花」の片岡直次郎と吉原大口屋の遊女三千歳との入谷の寮での濡場を唄った清元の名曲「忍逢春雪解」(清元お葉作)に材をとって小唄にしたもの。解説は師匠のHP歌詞集、小唄選曲集第七集三頁を参照してください)

南千住回向院( 小塚原回向院)

20180121094113.jpg

念願の片岡直次郎のお墓を、南千住回向院に見に行ってきました。もう何年も前に、直次郎を仁左衛門さん・三千歳を玉三郎さんで歌舞伎「雪暮夜入谷畦道(直侍)」を観たことがありました。二人の姿の美しさに、すっかりこの演目にはまってしまいました。その後、この演目を観るにつけ、直次郎と三千歳に興味をもちました。片岡直次郎のために三千歳はお墓を建てたことがわかり、是非見に行きたかったのです。三千歳の想いをお墓という形で見ることができました。いい時間になりました。gon☆☆☆次はshimoさんお願いします。

婚活、酒活、能活

小唄・清元のお稽古場は、婚活、酒活の最高の場ですね。🎵

たまには、脳の訓練です。

私が足立区の補習塾で一緒に勉強している小学生四年生の問題。

縮尺1/1000の地図があります。縦4.9センチ、横2.7センチの公園があります。地図上の面積に比べ実際の公園の面積は何倍ありますか。

という問題で、子供たちの解き方をじっと見ています。

実際の縦横の長さがきちんと計算出来る子供は、私の補習塾では優秀です。

勿論、計算する必要はないのですが、、、

 

次は小学二年生の問題です。

□□÷□=□□

□には1から9

の整数が入ります。数字は一回しか使えません。

商(答え)が、最大になる式、最小になる式をそれぞれ求めなさい。

答えより、どういう考え方で答えを求めたのかの、思考パターンを聞くのが楽しめる問題です。

以上

☆次はgonさんお願い致します。

ご無沙汰してます

週末、四国に行ってきました。
徳島から入って高松空港から帰ってきました。
前から気になっていた引田と言う湊町に行ってきました!
風が強くて寒かったです。
駐車場が安いですね!
都内だと一時間2000円越えてる所も有りますからね……(^-^;

忘年会、参加出来ませんが皆様よいお年をお迎えください。

☆次はgensuiさんお願いします!

やまのぼり☆

IMG_8828.JPG IMG_8829.JPG

リョーコです♪
数年ぶりの山登り。
お天気も良く、とても気持ちが良かったです!
帰りは温泉に入り疲れを癒しました☆

が、しかし・・・
張り切りすぎて、翌日は(予想通り!?)しかっりと筋肉痛の洗礼を受け、
数日間、変な歩き方になっていたのは内緒です。

お次は油屋様よろしくお願いいたします!

関西茶会旅行

 

 

今日は、ヨッシーです。

この度、茶道を体験する機会を得ました。表千家教授である叔父は、大阪にて「茶道教室」を開いております。また叔母は東京に出向き、女房および数人に稽古を付けております。その叔母が病気し、東京での稽古が滞ったため、お見舞いを兼ねて弟子たちが大阪に出向き、宗匠(叔父)にお点前を披露し指導頂く茶会を開催することとなったのであります。

姉は、中等部より茶道部に在籍し友達数人と自宅にてお茶を習っておりました。自宅開催の茶会には、小学生だった私をお客として強制的に参加させておりました。回を重ねてくると、私はお茶に自然と興味を持つようになってきました。その後、小唄を習い始めた昭和50年代には、お茶も習い始める機会が数回ありましたが、長時間正座が出来ないため断念してきました。

女房より、椅子使用にて茶席につく許可を頂く、合わせて、京都旅行2泊を含めるとのお誘いに乗り、関西茶会旅行に私も参加したのです。

宗匠が教えている表千家とは言うまでもなく、16世紀に「わび茶」を大成した千利休の伝統を直接受け継ぐ三千家の一つであります。利休の孫にあたる宗旦の三男、江岑宗左が本家である表千家を、四男の仙叟宗室が別家、裏千家を継ぎ、次男の一翁宗守が武者小路千家を立て、以来現在に至るまで利休の「わび茶」を伝承しています。

茶席での座る席順は、床の間に一番近い場所が上座になり、一番離れた席が末席になり、それぞれ『正客』『次客』『三客』『末客』となることは知っていたので、当日、初心者の自分は『末客』の席につこうとしたら、なつめ・茶杓などを亭主に戻す動作などもあり、初心者はそこも避けて『三客』の席につくのが理想的とのことでした。

薄茶(うすちゃ)点前と濃茶(こいちゃ)点前、最後に炭点前も行い、私も作法に則り順次お点前を頂きました。

宗匠は、茶道は抹茶を飲み楽しむ事に様々な文化が加わって発展しており、 茶室や庭など住まいに関する空間、茶道具を選んだり鑑賞したりする工芸、そしてお茶会に出てくる懐石料理や和菓子などの食、客人を気持ちよくもてなすための点前作法が融合した総合芸術であると説明された後、味覚だけでなく心と体で日本文化を感じ取って頂きたい旨話されました。

大阪での茶道体験を終え、翌日より二日間京都を満喫しました。比叡山などに色づく紅葉を見ると思い出すのは、昨年行き感激した高尾の「中尾山 宗蓮寺」にて薄茶を頂きながら見た紅葉でした。合わせて、小唄馬鹿の私の頭に浮かんだのが、江戸小唄の代表的名作「散るは浮き」でありました。この曲は、名人清元お葉によって作曲された小唄で、現在行われている江戸小唄の最初の記念すべき作品であります。

散るは浮き 散らぬは沈む紅葉葉の 影は高雄か山川の 水の流れに月の影

歌詞は雲州松江の城主で茶人である松平不昧(ふまい)公の和歌「散るは浮き散らぬは沈む紅葉葉のかげは高尾の山川の水」に、お葉が「高尾の山川の水」を「高尾か山川の水」と変え、末尾に「水の流れに月の影」と加えて小唄の歌詞としたものである。散った紅葉は清滝の渓流に浮いて流れ、枝にある紅葉は、その真紅のかげを渓流の底に映じているという意味で、浮き沈みを巧みに表現していると、書かれております。

☆次は、リョーコさんお願いします!

お伊勢まいり

171024_0910~02.jpg 171022_0906~02.jpg 171022_0932~01.jpg 171023_1836~01.jpg 171023_1836~02.jpg

こんにちは

名取式も無事終わり一区切りついたので、春日会の発展と来年の喜裕美会の成功を祈願しに、台風が近づくなか伊勢神宮の外宮、内宮に参拝してきました。

伊勢神宮は、正式には『神宮』といいます。内宮と外宮を中心に125の宮社があります。外宮から内宮の順にお参りするのが昔からのならわしです。内宮は皇室の御祖先であり、太陽にもたとえられる天照大御神さまをおまつりし、全国より崇敬を集めています。外宮は天照大御神さまのお食事を司り、産業の守り神である豊受大御神さまをおまつりしています。内宮は約2000年、外宮は約1500年の歴史があります。
(伊勢神宮HPより)

ちなみに、伊勢神宮には、おみくじがありません。
伊勢神宮に参拝に訪れた日は誰もが吉日とされています。また、神社の参拝は平穏無事に過ごせていることに感謝することであるということからおみくじがないと言われています。
神聖な大気のなか、雨に洗い流されて身も心も新たな気持ちになりました。

お伊勢まいり

お伊勢まいりに
石部の茶屋であったとさ
可愛い長右衛門さんの岩田帯しめたとさ
えっささのえっささのえっささのさ

(解説は師匠のHP歌詞集、又は小唄選曲集第一集8頁を参照してください)

相棒

image1.jpeg

みなさま、こんにちは。ミルです。
朝晩と肌寒くなり、秋の深まりを感じる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は、9月後半から仕事量が恐怖のV字回復を果たし、職場の机には書類がうず高く積まれ、周囲の人たちから「前屈みになっていると席にいるのかいないのかわからない」と言われる始末です…要塞か…。

帰宅後の癒やしは、最近我が家にやってきた「寝そべり隊長」とのゴロゴロタイム…。もふもふでつるつるな毛並みと、どこを見ているのかわからない目がチャームポイントなのです☆

職場に代理出勤してくれたらいいのに…ちょっと顔が似ているから誤魔化せるかもしれません。

ではでは、お次はヨッシー様、お願いします!

数年に一度の大きな買い物!

DSC_0627.JPG

小唄を始めてはや2年。とうとうMy三味線を購入しました。購入先はもちろん「三味線たけうち」さま!!

自宅でちょいちょい弾くたびに、新しい三味線の軽いのに味わいのある音色に癒されます…こんないい子に出会えるなんて…(^^♪うっとり

悩みは勿体なくて「バチ弾き」する勇気が出ないことです。もうちょっとおニュー気分を楽しみたい…そう思って宝物扱いしております。

ついでに粗忽な私が壊したりするのが怖くなり、ハードケースや三味線スタンドも購入してしまいました!!!

数年に一度の嬉しい大出血ですが、ま、いいよね、と自分に言い聞かせつつ…

☆次はミルさん宜しくお願い致します!

この頃、同年輩の者が集まると

先頃、区から古希のお祝いを頂きまして有難く頂戴しましたが、この頃、同年輩の者が集まると、話題は、どうしても終活関連の方に行きます。

中でも一番盛り上るのは、墓じまいです。田舎のお墓をこっちに移したんだけれど、お寺さんと揉めた挙句に、いやもう金がかかって、などというのが典型ですが、なかなか勉強になります。永代供養墓が価格破壊の状態だとか、宗旨・宗派を問わずに永代供養してくれるどこそこの合祀墓が良いとか、ゆうパックで送骨できるとか。

自分はと言うと、早々とお墓は持たないということに決めていて、皆さん苦労をしてるのね、ということで話を聞いているのですが、お骨の行き先が決まっていないと子供も困るので、両親の骨も入っている京都のさる霊場に納骨しろと言ってあります。

まあ、真面目な話、この年になると、心も身体も劣化していくのが身にしみて、寂しい限りですねエ。

20171001_164341.png

20171001_164341_2.png

上の話とは全然関係がありませんが、神宮外苑。
まだ、銀杏の葉は青々としているけれど、樹の下はこの通り、銀杏で一杯です。

次、コバコさんお願いします!

はじめまして!

DSC_1380.JPG DSC_1372.JPG

皆様 はじめまして、とみーと申します!
昨年からお稽古に通わせて頂いています♪

今年は浴衣浚いデビューに続き
ブログデビューと相成りました。
どうぞ、よろしくお願いいたしますm(__)m

舞台鑑賞が大好きで、ジャンルを問わずいろいろな劇場に出没しています。

そんな中、花より団子・・・いや、いや!
歌舞伎観劇の際の私の密かな楽しみ、
お目でたい焼きです。

インスタグラム

120902_1947~02.jpg

はじめまして
フレブルのコウタです。

最近、無料の共有スマホアプリ、写真に特化したSNS『インスタグラム』が、若い女の子の間で大流行っているそうですね…

・フェイスブック、ツィッターは
いつでも
どこでも
誰とでも
なんで気疲れするけど
・インスタグラムは
今だけ
ここだけ
私だけ
なんで気分がいいらしいですよ。

ウケる写真は「自分の世界観をさりげなく表現する」ことが大事だって、人気インスタグラマーが言ってたけど、インスタって、なんか『小唄』と似てませんか?

小唄入門

170918_2308~01.jpg 170919_0711~01.jpg

こんにちは

小唄入門(昭和30年1月発行、本山萩舟、杉原残華著)という小唄全盛期に出版された本を読んでみましたので、紹介させていただきます。

小唄とは、手っ取り早く言えば、「話し上手に聴き上手の境地」だということである。
話術の巧みさと同じようなもので、話している当人もいい気分なら聴き手に回った人も思わず引き込まれるという気合いである。
従って、気取って唄い出す必要もなければ、ことさら紋付き袴の心構えといったものも考えなければいけないということもない。
淡々として唄い出し淡々と唄いおさめて、しかも心がしっとりと濡れる境地に至れば申し分ないのである。
要するに、唄ってから肩がこるとか、息苦しくなるというような無理をせずに、浴衣を引っかけてお湯屋へ行くような心安さをもって親しんで頂きたいと思うのである。

「小唄は三味線をあしらいに使って唄い、端唄は三味線にのせて唄う、小唄は唄い込まれる唄の文句の面白さを味わい、端唄は節回しと声づかいのよさに耳を傾ける。端唄は三味線にのせながら三味線にひきずられぬ自由さを持って唄い、どこまでも声を聞かせ、節を聞かせるものだが、小唄はあくまで文句と気分を味わせるものでなければならない」
これは、平山盧江氏の主張であるが、言い得てまことに妙である。

先日、初めて第49回ライオンズ小唄会に出席させていただき、ベテランの諸先輩の小唄を拝聴して、著者の話をなるほどと納得した次第です。
特に、トリを取ったライオンズ小唄会会長の小唄は、師匠からも一度聴いておいた方がいいと言われましたが、声の張り、艶、間、音程、節回し、小唄の文句と気分に引き込まれてしまいました。
「気分よく」は、師匠もよく口にされますが、小唄って皆をいい気分にさせる『癒し系の和芸』なんですね!

長崎まるごと屋

こんにちは。
浴衣ざらい、ありがとうございました✨
とよ喜裕美先生ならではの素晴らしい会で感動しました😊

今回は、銀座6-7-7 第3岩月ビル2階に7月オープンしました『長崎まるごと屋』をご紹介させていただきたいと思います。

うち田のお向かいさんのみやま物産の3店舗目で、リーズナブルに長崎直送新鮮食材をお楽しみ頂けます。
9月11日〜ランチも始まりましたので、機会がありましたらよろしくお願い致します☘

☆次はよーよーさんお願い致します!

 

 

iPhoneから送信

江戸城散策

170911_0857~01.jpg 170909_1152~01.jpg 170909_1157~01.jpg 170909_1216~01.jpg 170909_1213~01.jpg

こんにちは

丸ビルに立ち寄った後、好天は誘われて江戸城を散策してきましたので、レポさせていただきます。

長禄元年(1457年)に太田道灌が、この地に平山城を築いた後、北条氏の支城の時代を経て、天正18年(1590年)に徳川家康が入城し、以後、徳川氏15代の居城であった。

数ある名跡の中で「なぜ、江戸城天守閣は再建されなかったのか」という『富士見櫓』にまつわるのエピソードを紹介させていただきます。

富士見櫓は江戸城旧本丸の南東隅に位置し、品川の海や富士山が一望できました。現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の貴重な遺構です。

明歴3年(1657年)の大火で天守閣が消失し、当時の第4代将軍、徳川家綱は天守閣を再建しようとしましたが、叔父の保科正之の「戦国の世は終わったので、天守閣よりも大火のときに江戸庶民が避難できる両国橋を造りましょう(当時、隅田川の大川には防備の面から一本も橋がなかった)」という進言により、富士見櫓が天守閣に代用されました。
その後、その時の意志を継いで、天守閣は建てらていません。

保科正之(1611-1673)
第3代将軍、徳川家光の異母兄弟で、家光と家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。日本史上屈指の名君と言われている。
第2代将軍徳川秀忠が、妻のお江が恐妻で側室が持てなかったので、女中のお静に生ませた子。保科家へ養子に出されたが、謹直で有能であったため、徳川家に呼び戻され、幕府より松平姓を名乗ることを勧められたが、養育してくれた保科家への恩義を忘れず、生涯、保科姓で通した。

Mの記憶

170909_0956~01.jpg 170909_0955~01.jpg 170909_0954~01.jpg

こんにちは

久しぶりに丸ビル(丸の内ビルディング、2002年)に行ったらエントランスに『Mの記憶』という洒落たオブジェがあったので、紹介させていただきます。

私の『Mの記憶』と言えば、1階にあった竹葉亭のまぐちゃ(まぐろ茶漬け)です。本当に美味しくて、よく食べに来たのを懐かしく思い出しました。

旧丸ビル(丸ノ内ビルヂング、1923年)に基礎として用いられた松杭が驚くほどの鮮度で回収され、その中の1本を選び、旧丸ビルがたどった年代を切り刻み、そのまま水平に床に埋めた作品です。
丸ノ内は昔は海だったので地盤が弱いため、基礎に12〜15メートルの松杭を5400本使ったそうです。
そしてもう1本、今度はブロンズに鋳抜き、未来への年代を切り刻んで、床下の作品と対応させるように屹立させた、時間と記憶をテーマにした土屋公雄氏の作品です。