深川と歌舞伎

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こんにちは

小唄の理解を深めるために炎天下のなか、★門前仲町で降りて『深川』(お不動様→八幡様→江戸資料館)を散策してきましたのでレポさせていただきます。

深川不動尊
正式名称は、成田山東京別院深川不動堂。開創は元禄16年(1703年)、成田山新勝寺の御本尊を江戸に奉持し出開帳(特別拝観)したことが深川不動の起こりです。

富岡八幡宮
寛永4年(1627年)、横浜市金沢区にある富岡八幡宮から分社して同じ社名を許され、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされます。
江戸勧進相撲発祥の地として有名。貞享元年(1684年)、幕府より春秋の2場所の勧進相撲が許され、以降約100年間にわたって本場所が境内で行われました。横綱が最高位になったのは明治以降で、当時は大関が最高位で横綱は優れた大関に与えられた称号でした。

深川江戸資料館
江戸時代末(天保年間)の深川佐賀町の町並みが再現されており、当時にタイムスリップできます。
当日はゲストの新内の多賀太夫師匠が猪牙舟の舟着き場で三味線の弾き唄いで新内を語ってくれましたので、より一層、深川の風情を醸し出していました。
また、11/2まで企画展『歌舞伎と深川』が開催されており、?歌舞伎の誕生、?江戸歌舞伎の形成、?市川團十郎と深川?深川ゆかりの役者たち、?深川情緒と「深川物」、?歌舞伎の舞台・深川、と様々な視点から『歌舞伎と深川』を紹介しています。
深川は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出発するまでの9年間暮らした住居『採茶庵』や「南総里見八犬伝」の作者、滝沢馬琴の生誕の地として知られていますが、歌舞伎ゆかりの地でもあり、市川團十郎や鶴屋南北をはじめ多くの役者や狂言作家が住み、また様々な歌舞伎の舞台となりました。
特に、江戸歌舞伎の特色である荒事で疫病や災厄を祓う現人神を演じ『江戸の守護神』『役者の氏神』と呼ばれた市川團十郎は江戸っ子を代表する大スターでした。成田屋の代々の團十郎は深川永代寺で成田山出開帳で取り持ち役を務めていて、特に縁の深い役者です。

深川関係の小唄は『辰巳の左褄』をはじめ『仇情八幡祭』『巽ゃよいとこ』『櫓下』など八幡様が出てくる曲が多いですが、『いつにしか』をはじめ『佃流し』『深川』など深川をテーマにした曲もあります(師匠の小唄選曲集第八集23頁参照)。

深川

猪牙で行くのは深川通い
あがる桟橋アレワイサノサ
いそいそと客の心はうわの空
飛んで行きたいアレワイサノサ
主のそば