玉川の、
水に晒せし雪の肌
積もる口説のその内に
解けし島田のもつれ髪
思い出さずに忘れずに
また来る春を待つぞえ
昭和30年前後でしょうか、家族で“玉電“に乗り終点の“二子遊園地“駅近くにある親戚の家に寄りながら、夕方になると団扇片手に土手を登り川原に出て、兵庫島からあがる花火をみるのが夏の楽しみでした。
高島屋建設のため立ち退きを強いられた親戚の家が無くなってから、毎年の花火見物は終わり。
二子はみるみる姿を変えすっかり都会に変身。
それから二子花火をみたのは今から20年程前川向こうの梶ヶ谷に住んでいた時でしょうか
そして現在私は再び玉川を渡り、調布に住んでいます。
冒頭は端唄の玉川です。
作られたのは嘉永時代と古い唄らしく、先日の台風で氾濫した川と同じとはとても思えないですね。
災害があって昔の時代を思い出す事に、
そしてあらためて自然の脅威を感じたこの台風でした。
被害に遭われた方々に心からお悔み申し上げます。
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