東京小唄・清元・三味線教室

5月の小唄 「水指」「茶のとが」

投稿日:2020年5月16日

第5回 喜裕美会(2014年)三越劇場開催
小唄とお茶と小唄振りのコラボレーションを企画し実現しました☆今や、劇場での演劇関係や、音楽活動、芝居等が全て中止となり、いつ再開できるのかのめどもたっていません。こんな日が来るとは、予想だにしていませんでした。
改めて、日本の文化は素晴らしいと感動いたします。
お時間のあるところで、皆様にも是非、劇場の醍醐味を味わっていただければと思います。

小唄とお茶と小唄振りのコラボレーション

「水指」
【歌詞】
水指の二言三言言いつのり 茶杓にあらぬ癇癪の
わけ白玉の投げ入れも 思わせぶりな春雨に
茶巾しぼりの濡れ衣の口舌もいつか炭手前主をかこいの四畳半
嬉しい首尾じゃないかいな
【解説】
「水差」は釜の湯を補う水を入れてある器であるが、ここは俗に言う「水をさす」つまり信じあっている二人に中傷する人があって、二言三言言い合いをすることを指す。「茶杓にあらぬ癇癪」は語呂合わせで、間尺に合わぬをもじったものと思うが苦しい洒落である。「わけ白玉の投げ入れ」は、訳は知らぬがという意味と、白玉椿の投入に挿した床をかけたもの。「茶巾しぼりの濡れ衣」とは、抹茶碗を拭くに用いる麻の布を茶巾といい、濡れた茶巾で茶碗を拭う作法を茶巾さばきと唄い、その濡れた茶巾と濡衣とをかけた言葉。「口説もいつか炭手前」は濡れ衣の口説が済んだことと、炉に炭をつぐ作法の炭手前とをかけ、「主を囲いの四畳半」の囲いは数寄屋(茶室)で、之と主を屏風内に囲うことをかけたものである。
 一中節を取り入れて、どこか茶の湯らしい寂びの感じの漂う曲となっている。(小唄鑑賞 木村菊太郎より)

「茶のとが」
茶のとがか 寝られぬままの爪弾きに
浮河竹の水調子 涙ににじむ薄月夜
傘持つ程はなけれども 曇りがちなる我が胸を             
晴らす雲間の ほととぎす   
【解説】
お座敷で飲んだ抹茶のせいか、夜が更けてもなかなか寝つかれぬ妓は、起き上がって三味線を手に取る。四辺に気をつかって水調子の爪弾きでポツンポツンと弾いてみるうちに、恋しい胸の中をまだ打ち明けられぬ人のことが思い出されてつい涙ぐむ。外は五月の薄月夜で、暈(かさ)をかむっているという程ではないが、ともすれば曇りそうな「わが胸」によく似た月夜である。その五月の雲間を、一声高く名のって過ぎる時鳥の声、それが、曇りがちな自分の胸の雲を吹き晴らすかのようであった。
水調子=三味線の絃のゆるんだ低い高位(ピッチ)を言う。これは、余り 音を響かせないで弾く場合とか、自分で楽しみに弾く場合に用いられる
憂き川竹=「川竹」とは、川辺に生えている竹で、その竹の先は垂れ下がり、常に川水に押し流されて浮いたり沈んダリ意だりしている事から、之を遊女の浮沈定まらぬ境遇に沈定まらぬ境遇にたとえて「憂き川竹の勤め」と言った。

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