くりかえし、くりかえす( 深)

ウチの飼い犬の世之介(仮名)は、いつもきまったところで右の後ろ足をあげて小用をする。鶯谷駅の西側にあるゆるやかなS字坂、切り通しの先に立つ古びた電柱がお気に入りで、世之介と私はそれを”一番電柱”と名づけ、最高の小用スポットにしている。彼は、ほぼ毎日ほぼ同じ時間にそこで正確に右の後ろ足をあげ、私は、ひとときそこに佇む。世之介が寛永寺の庭に出入り禁止になって散歩コースを変えたのがその電柱との出会いだったので、その小さな習慣はもう三年ほども続いていることになる。
坂下、一番電柱のななめ向かいには芸大音楽科の女子学生専用の瀟洒なアパートがあって、その小窓に、世之介と私は、派手な朱色の服を着た老女が化粧するすがたを幾度も目にした。シャガールの絵のような陰の深い複雑な幸福の光景。
なぜ、学生専用のアパートに老女なのか、それはわからない。ただ、彼女の人生にはその時間にどうしても派手な朱色の服をまとって化粧しなければならない大切な”習慣”のようなものが、きっとあったのだろうと思う。
最後に見かけたのは、今年の春、桜の散りかけた頃。以来その窓が開いているのを一度も見たことがない。
――トシのせいだろうか、以前はあんなに心はずんだ町歩きだが、さすがに最近はおっくうになってきた。おっくうだけれど、しかし、町歩きだけはどうしてもやめられない。くりかえし、くりかえす。同じことを幾度も反芻するのは、反芻しているという意識がないからで、つまり、それが本能というものの正体なのだろうな……と、世之介(ニンゲンの年齢に換算して52歳)。
――お前はいいよなあ、犬に生まれて……と、私(イヌの年齢に換算して8歳)。
※08年7月→六年ぶりにお師匠のところで小唄の稽古を再開させていただく。
※同8月→二十数年前に参加していた絵画教室からグループ展のご案内をいただき、ただ今、10年ぶりの自画像と格闘中。
追記 門口の電柱に、ためしに片足をあげてみたが、やって来たセーソな女子学生と目が合い、ニンゲンの道を踏み外さずにすんだ深谷さん、より。…イイ年して習慣になっていない事はやらんほうがいいのだな、つまり。